2023年に創刊55周年を迎える「週刊少年ジャンプ」(以下、ジャンプ)。『ドラゴンボール』『ONE PIECE』『鬼滅の刃』『呪術廻戦』などなど、世界中で愛される作品を次々と世に送り出してきた、日本を代表する少年マンガ誌です。現在、社会で活躍する大人たちで、ジャンプに育てられた……という人は少なくないはず。
雑誌の発行部数も、単行本の発行部数も他のマンガ雑誌に大差をつけて1位を走り続けている「ジャンプ」ですが、もちろん最初からマンガ雑誌の巨人だったわけではなく、むしろ弱小誌としてスタートしたのです。
ではなぜ「ジャンプ」は、並みいるマンガ誌と一線を画す存在になったのでしょうか? そこには意外なワケがありました。
●「新人発掘」を重視して成功
「ジャンプ」が誕生したのは1968年ですが、創刊にはひとつ、大きな問題があったようです。立ち上げにも携わった4代目編集長の後藤広喜さんによると、「描いてくれる漫画家さんがいなかった」のだとか。
実は「ジャンプ」創刊当時、少年マンガ誌界にはすでに10年近くも先をゆくふたつの先輩誌、小学館の「週刊少年サンデー」(以下、サンデー)と講談社の「週刊少年マガジン」(以下、マガジン)が存在し、有名な漫画家はすでに2誌が抱え込んでいたのだそうです。
そこで「ジャンプ」が考えたのが、新人漫画家の発掘。著名な漫画家が無理なら、新しい才能を見いだして育てればいい……というワケです。
創刊号はご祝儀的意味もあったのでしょうか、赤塚不二夫先生や貝塚ヒロシ先生、永井豪先生などの顔ぶれが揃いましたが、同時に「第1回新人漫画大募集」の告知も載せられ、新人に門戸を開いているというスタンスが明確にされました。
次々と登場する新人漫画家は、常に新しい面白さを求める読者の少年たちをワクワクさせてくれたことでしょう。
積極的に新人漫画家を募集する姿勢は、後に『ドラゴンボール』などの大ヒット作を描いた鳥山明先生の発掘にもつながりました。鳥山先生は当初、賞金50万円のマガジンの新人募集に応募しようとしていたそうですが、締切りに間に合わなかったため、賞金は10万円ながらも毎週募集していた「ジャンプ」に応募したのです。毎週募集という大網を張っていたからこそ、才能をもれなく引き上げることができたのですね。
ちなみに「ジャンプ」を出版する集英社は、もともと小学館の娯楽部門だったそうで、「ジャンプ」の初代編集長である長野規さんは、「サンデー」初代編集長・豊田亀市さんの直属の部下だったのだとか。豊田さんは後々長野さんを手放すのではなかったと悔やんだそうですが、ライバルとして「ジャンプ」ほどのモンスターマンガ誌を作られたのでは、その気持ちもよくわかります。
全文はソースで
https://news.yahoo.co.jp/articles/793c48234d96f801691d4f80d6bbd55531df1a7b
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アニメ化に消極的なままだった可能性はあるけど
そこまでの影響はなかったんじゃないの?
幽遊白書、ワンピ、ナルト、ブリーチみたいなバトルものはドラゴンボールが無ければ存在していないもんな
チャクラ、霊圧などを操ってバトルするのはドラゴンボールの気の概念や、かめはめ波がモチーフだし
違うね。
ジャンプバトル路線の始祖はリンかけとキン肉マンだよ
むしろドラゴンボールはそっちに引っ張られてるだけ
それ、バトル漫画という括りじゃねーか
おれが言ってるのは、「気みたいなものを操る」バトル漫画だ
ドラゴンボールはこれら全てのバトル漫画の原型
北斗のほうが先じゃねえの?
読者が読みたいものを載せてただけの話
「編集王」で批判されたやつな
しかし、編集王が批判されたりもした
マシリトありきの会社だろ
平松伸二で編集の旨味覚えて鳥山明でブレイクして
ドラクエ人気作って新本社建てて
ジャンプ購読のきっかけはドラゴンボール目当てだった
人気漫画家でも数週間であっけなく終了
北斗の拳の次の作品とか機関銃ぶっぱなしてファックユーとか叫ぶだけのくだらない作品だったけどあっけなく終わったよな
漫画家を表紙に勢揃いさせてたけど顔がわかると親近感出て距離感近くなって良かった
ただの漫画として終わらせず読者にきちんと向いてた
そらから敏腕鳥嶋編集長の存在
黄金期を呼んだのはこの3点に尽きる
本当になんでもありだったんだよこの雑誌
たまの土曜日とかな。
フライング組は常に土曜日(あれ?金曜日だっけ?)だったけど。
絵が下手すぎたのかね
あとグロいからジャンプぽくは無かったな
マガジンでも月マガ行きだったし
ジャンプでやったら途中からバトル漫画に変更させられたろ
政治戦争系も駄目そうだし
そういう型を最初に考えた人がその最初の編集長だったんだろうな
ライオンブックスっていう連作短編みたいなのを連載したことはあるらしい
休載多いし
読める漫画が殆どない
一時マガジンに迫られてたけど
一時は抜かれたよ
ホント酷いわ
編集の能力が落ちて来たのかねえ
まだ読んでんのかよ
俺は忘れない、密リターンズを
荒木飛呂彦
をパクった富樫
この3人のお陰でしょ
引用元: ・https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1651892008/
Source: 鬼嫁ダイアリー
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